「十二戦支爆烈エトレンジャー」と彼らが持つピングドラムの話 

最近、完全にエトレンジャー熱が再熱してしまったので、「輪るピングドラム」放送当時の考察を元に、改めて考察してみました。 

個人的に「輪るピングドラム」を見て、初めて「十二戦支爆烈エトレンジャー」という作品の世界観について、自分なりの解釈が出来るようになったので、本当に欠かせない作品だと思っています。

気がついたら10000字を余裕で越えていたので、暇な時にでもお付き合いいただけると嬉しいです。 

ちなみに両方の作品についてガンガンネタバレしているので、ご注意ください。

 

 

1 なぜ「十二戦支爆烈エトレンジャー」なのか 

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「久々にリアルタイムに放送しているアニメにハマれたぞ~!」とニコニコしていたオタクが椅子から転げ落ちたカット。

中央図書館の地下にある「そらの孔分室」に陳列されている「カエル君、◯◯を救う」シリーズのラインナップに突然出てくるエトレンジャーの登場人物。

この「カエル君」シリーズの中で、別作品の登場人物が出てくるのは「十二戦支爆烈エトレンジャー」と「白い巨塔」くらいでは?

ではまず、なぜ「十二戦支爆烈エトレンジャー」というアニメの登場人物が出てきたのか、という考察から始めたいと思います。

 

(1)演出・スタッフというメタ視点

作品上の演出・スタッフという、視聴者からのメタ視点で言うと、 

・ 「輪るピングドラム」というアニメにおいて1995年が重要な年であること

・ 第9話の絵コンテ・演出・作画監督・原画が武内宣之さんであること

 の2点が理由だと思います。

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これは当時、2ちゃんねるの「十二戦支爆烈エトレンジャー」スレでも言及されていたので、私一人が頓珍漢なことを言っている訳ではないと思いたい。 

というか、両方のアニメ見てたらすぐ気付く話なわけで。考察ですらないわけで。

輪るピングドラム」の制作はブレインズ・ベースですが、この回は絵コンテ〜原画まで全て武内宣之さんが担当したことで、とても「シャフトっぽく」仕上がっているところが面白いですよね。

武内宣之さんが95年に参加した作品ということで「十二戦支爆烈エトレンジャー」がセレクトされたのかな、と考えていました。

当時はDVD発売の予兆かと思ってたけど、そんなことはなかったぜ!

 

輪るピングドラム」において、95年がキーであることは説明の必要はありませんね。

この作品は、地下鉄サリン事件をモチーフにしており、作中の地下鉄爆破事件が起きた日付も、サリン事件と一致しています。

また、中央図書館の本棚のうち、村上 春樹の作品棚の中で地下鉄サリン事件の関係者へのインタビューをまとめた「アンダーグラウンド」だけが、著者名がはっきりと分かるようになっていること。

そして、陽毬が探している村上 春樹の著書「カエルくん、東京を救う」は阪神淡路大震災をテーマとした短編集の中の一作で、阪神淡路大震災もまた95年に起きています。 

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恐らく考察ガチ勢からすれば何を今さらという話だと思いますが、私は、「輪るピングドラム」とは「理不尽と不公平の世界(第23駅「運命の至る場所」/冠葉)」と戦って生き残る(=生存戦略)ための話だと考えています。

無差別テロや大規模地震は、非常に分かりやすい「理不尽と不公平」だと思うんですよね。そして、こどもボイラー。

ただ、せっかくなので「演出なんだよ!」「スタッフが2作品一緒だったんだよ!」と作品の外側に理由を求めるのではなく内側、「そらの孔分室」へと降りていった陽毬に理由を求めるのが(2)です。

 

まったくこの考察に関係のない話ですが、ブレインズ・ベースって「爆闘宣言ダイガンダー」と「冒険遊記プラスターワールド」作ってたんですね。

私は、イーグルアローが推しです。

 

(2)陽毬の深層心理

陽毬が「そらの孔分室」へと降りていく際にはエレベーターを使用しますが、同監督の「少女革命ウテナ」においても「エレベーターによる移動」は「深層心理への到達」を意味していました。

司書を名乗る眞悧の台詞「ではもっと奥へ。もっと深いところへ参りましょう」という台詞は、根室記念館における御影 草時の「深く、もっと深く」を彷彿とさせますが、監督はピンク髪の美青年に心の奥深くをめちゃくちゃにされるのが好きなんですか。

教えて、イクニスト(ハルキスト的な意味合いで)。

 

冗談はさておき、エレベーターで降りた先にある「そらの孔分室」は、陽毬の深層心理です。

眞悧の「この膨大な知識と記憶の海より探し出していただけるでしょう」や、陽毬の「やけに広いような気が」という台詞からも察することができます。

 

深層心理。つまり、「カエルくん、◯◯を救う」の◯◯とは、何らかの形で陽毬と接点があったものと言えます。

そして、地下深くにあるものほど、陽毬にとって重要な記憶・エピソードであることが分かります。

陽毬が地下深くへ足を進めるたびにHトリオや母親との記憶に関する本が見つかるのに対して、「十二戦支爆烈エトレンジャー」の登場人物が出てくるのは序盤、陽毬が「そらの孔分室」へ降りてすぐです。

多分「ああ、なんか昔見てたなあ、こういうアニメ」くらいの深さ。

陽毬が幼い頃に見ていたテレビアニメの一つに「十二戦支爆烈エトレンジャー」があった、と考えると面白いですよね。

 

これも詳細は後述しますが、私は、「十二戦支爆烈エトレンジャー」の最終話において、「彼らの活躍がノベルワールドになった」というのは、「異次元の存在である彼らの活躍が物語という形をとって、人間に対して可視化された」という解釈をしています。 

つまり、「十二戦支爆烈エトレンジャー」全39話は、彼らの物語がノベルワールド化したことで「人間が触れることのできる物語」となった結果、テレビアニメという方法で人間(視聴者)に認識されたもの、ということです。 

陽毬もまた人間(視聴者)として、「十二戦支爆烈エトレンジャー」を見ていたんじゃないかなあ。

 

ただし、陽毬は95年にはまだ生まれていないので、録画組かAT−X再放送組か、という話になってしまいます。

というか「輪るピングドラム」を真面目に考察している人に「高倉家、AT−Xでエトレンジャー見てたってよ」って言ったら、ボコボコにされるんだろうな、という気がしてきましたが、 私は正気です。 

もしかしたら「輪るピングドラム」の世界では、 「十二戦支爆烈エトレンジャー」のDVDが出ているのかもしれません(白目)

運命を乗り換えるしかないな。 

 

2 登場人物の欠如

さて、「輪るピングドラム」に「十二戦支爆烈エトレンジャー」という作品が絡んだ理由は、ひとまず上記1で納得するとして、再びこのカットを見てください。

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いや、ニョロリ先生とパカラッチがいねえんだが!?

 

「カエルくん、◯◯を救う」の◯◯は、アイウエオ順に並んでいるわけではないので、オーラ姫様の次にニョロリ先生やパカラッチの名前がある可能性も捨てきれませんが、他が順序よく並んでいる分気になります。

また、バク丸、ホルス、ガオウの本はあるのか、同じように抜けているのかも分かりません。

 

上述1(1)のとおり、95年を強調するという意味では、ドラゴさんとモンクが抜けていた方が納得できますよね。 

それか、95年は亥年なのでウリィ。

輪るピングドラム」において数字は何かと重要な演出なので気になるんですが、ピンと来るものがないですね。

陽毬の手が左から右へ動くので、6と7というよりは76?

でも、地下は61階です。

 

また、上述1(2)のとおり、「そらの孔分室」が陽毬の深層心理とすると、陽毬にとってニョロリ先生とパカラッチの印象が薄いんでしょうか。

あんまりでは!?

 

逆に、この2人を飛ばしてまでオーラ姫様を入れることに意味があるんでしょうか。

輪るピングドラム」において姫と言えば、勿論プリンセス・オブ・ザ・クリスタルですよね。 

作中で重要となる「特別な力をもった女性」ということでオーラ姫様も入れたのか。 

うーん、完全なるこじつけですね。 

これについてはすみませんが、「両作品を知ってるお前らの考察、待ってるぜ!」ということでお願いします。

 

3 ピングドラムとは何か

輪るピングドラム」という作品において最も考察されているであろう「ピングドラムとは何か」問題に、素人が立ち向かうのは大変恐ろしいのですが、ピングドラムを定義することで「十二戦支爆烈エトレンジャー」を理解するのがこの考察の目的(狂気)なのでお付き合いください。

 

公式から「ピングドラムとは◯◯です」と明言はされていませんが、陽毬が冠葉に「冠ちゃん、これがピングドラムだよ(第24駅「愛してる」)」と差し出す赤い玉がピングドラムです。

 

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ピングドラムとは何か」については、 愛や運命、命など諸説ありますね。

 

(1)作品中のヒント

作品中に存在するヒントについては、というか、「ピングドラムとは何か」考察は本当に色んな視聴者がしているので、「ピングドラムとは」で検索をかけるのが一番早いです。

「十二戦支爆烈エトレンジャー」のために「輪るピングドラム」の考察をしているオタクじゃなくて、輪るピングドラム」のために「輪るピングドラム」の考察をしているオタクの考察を見ろ。

 

とりあえず私は、第1駅「運命のベルが鳴る」と第24駅「愛してる」に出てくる、宮沢賢治ガチ勢小学生の台詞にピングドラムの定義を求めます。

小学生A「だからさ、林檎は世界そのものなんだよ。手のひらに乗る宇宙。この世界とあっちの世界を繋ぐものだよ」

小学生B「あっちの世界?」

小学生A「カンパネルラや他の乗客が向かってる世界だよ」

小学生B「それと林檎に何の関係があるんだ?」

小学生A「つまり、林檎は愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもあるんだよ」

小学生B「でも、死んだら全部おしまいじゃん」

小学生A「おしまいじゃないよ! むしろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ」

小学生B「全然分かんねえよ」

小学生A「愛の話なんだよ。なんで分かんないかなあ」

ピングドラムは、赤い玉や林檎として表現されることがあるので、ここでいう林檎をピングドラムとして読み替えます。

つまりピングドラムとは、「愛による死を自ら選択した者へのご褒美」です。

 

そして、この作品で「愛による死を自ら選択した者」というのは、冠葉と晶馬ですよね。

彼らが最終話、消滅する前にご褒美として与えられたもの。

自らの命を代償にすることで愛する者を生かした者が、死ぬ前に与えられたもの。

どうやら、それがピングドラムらしいです。

 

(2)幾原邦彦監督のブログ

リアルタイムで視聴していたときに読んだ幾原邦彦監督のブログなどをまったく記録に残していなかったんですが、監督のブログを引用して考察している神様がいらっしゃったので、そこから引用させていただきます。

こちら(http://d.hatena.ne.jp/samepa/20110717/1310913379)です。

幸福とは幸福を探すことである 2009年06月16日(火)

 

古いメディアは、相変わらず「格差」だと「婚活」とか言ってるけど、みんなそんなことはどうでもいいって分かっている。

いい学歴を得たって、高い収入を得たって、大きな家を買ったって、そんなことで幸せになれないってことは、みんなとっくに知ってる。

幸せの価値がひとそれぞれってことだとすると、そこで最も大切なのは“想像力”だ。

メディアに“幸せ”を教えてもらわないと不安な人には難しい。 

他の誰にも、それが分からなくっても、私には分かる。

“私だけの幸せ”を想像する力。

それだけでいい。

 

http://www2.jrt.co.jp/cgi-bin3/ikuniweb/tomozo.cgi?no=491

新年早々、まったくの独り言です。

近年、益々、人の世界は「イメージ力(りょく)」になったなあ、と思うのです。

例えばね。

「明日、映画を観にいこう」と思ったとします。

まずやることは。

「ネット(携帯)で、どこの映画館で、何時からやってるか調べよう」

そして気がつく。

「なんと、観たい映画は単館上映だ。しかもレイトショーのみ」

そこでちょっと考える。

「じゃあ駅最寄の吉牛で夕飯を食ってから観ることにしよう」

 

「明日、映画を観る」という行為は、大抵この程度のイメージ力で成し遂げられます。

「成せること」はイメージ力です。

これから夕飯をつくることも、

明日、友達と会うことも、

これ、みんなイメージ力によって可能になっているのです。

 

だから「芸能人になりたい」と思って、本当になってしまう人は「凄くイメージ力の強い人」なのだと思います。

なぜなら大抵の人は「自分が芸能人になるために行なう行為」をイメージすることが出来ないからです。

いや、仮にイメージしたとして。

そのイメージにリアリティを感じることが出来なければ、その困難に挑むエネルギーなんて沸かないでしょう。

つまり「イメージ力を持った人」とは、「実現可能なシュミレーションを立てることが出来る人」のことなのですね。

 

なんでこんなことを書くかと言うと。

昨年末、東京工芸大学で講義をさせてもらったのですが。

(S子先生、その節はお世話になりました)

そのことを言い忘れたような気がしたので今頃、言う。

クリエイティブできる人って、「才能がある」って言葉で言い表すより、「イメージ力を持った人」という言い方をしたほうが的確だと思う。

 

今年もよろしく。

http://www2.jrt.co.jp/cgi-bin3/ikuniweb/tomozo.cgi?no=469

 

(3)ピングドラムとは「想像力」ではないか

私は上記を踏まえて、ピングドラムとは「想像力」、更に言うなら「明るい未来を想像する力」と解釈しました。

 冠葉と晶馬は自らの命を代償に、愛する者(陽毬、苹果)が生きる未来を想像することができたから、2人とも満足して消滅した、という解釈です。

「愛による死を自ら選択した者へのご褒美」として、これ以上のものってないでしょう。

 

また、監督は、あらゆる行動はイメージ力によって実現されていると考えているようです。

ここで第24駅、箱の中にいた冠葉と晶馬とのやりとり。

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このとき、ピングドラムを持っていない2人には、生きるという行為を想像する力がなかった。

だけどその後、冠葉の箱の中に林檎(ピングドラム)が見つかって、冠葉は自分が生き残る未来を想像することができた。

想像したことによって、実現の可能性が生まれたわけです。

更に、冠葉がピングドラムを晶馬に半分分け与えたことで、晶馬もまた自分が生き残る未来を想像し、その実現可能性を得た、と整理しました。

 

襲い来る理不尽や不公平(無差別テロや大規模災害、選ばれなかった子供にとっての「こどもブロイラー」)に対抗するためには、ピングドラム(=明るい未来を想像する力)が必要となります。

襲い来る理不尽や不公平が過酷であればあるほど、対抗するために必要なピングドラムは大きくなっていく。

それでは、どうやってピングドラムを、しかも出来るだけ多くのピングドラムを獲得するのか。

 

ピングドラムを他者から与えられる・他者へ与える輪を作ることで、無限のピングドラムを獲得すること。

それがプリンセス・オブ・ザ・クリスタルの言う「生存戦略」なのではないでしょうか。

 

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突然のパワーポイント。

ピングドラムを想像力と捉えることで、「イマージーーーン!(想像しろ!)」というプリンセス・オブ・ザ・クリスタルの台詞にも辻褄が合うのでは。

 

さらに、ピングドラムには「他者から与えられるピングドラム」と「自らが生み出すピングドラム」の2種類があると考えます。

第24駅「愛してる」における多蕗とゆりの台詞、

「だからたった一度でも良い、誰かの「愛してる」って言葉が必要だった」

「例え運命が全てを奪ったとしても、愛された子どもは、きっと幸せを見つけられる」

これは、一度でも他者からピングドラムを与えられ、ピングドラムの輪に入ったことがある者は、それによって自らピングドラムを獲得することが出来ることを示しているのに対して、

第23駅「運命の至る場所」におけるシラセとソウヤ(=眞悧)の台詞、

「ぼくは何者にもなれなかった。いや、ぼくはついに力を手に入れたんだ。

 ぼくを必要としなかった世界に復讐するんだ。やっとぼくは透明じゃなくなるんだ」 

これは、輪に入れなかった(=生存戦略に失敗した)者の台詞です。

ピングドラムを自ら生み出せるようになるには、他者から一度でもピングドラムを与えられることが必要で、それは「愛してる」という言葉だったり、別の何かだったりして、きっと自己肯定力に似ているんでしょう。

 

生きていくためには、ピングドラムが必要。

選ばれるということは、他者からピングドラムを与えられるということで、それはつまり、ピングドラムの輪に入る、生存戦略に成功するということ。

一方で、選ばれないということは、他者からピングドラムを与えられないということで、それはつまり、ピングドラムの輪に入れないということ。生存戦略に失敗すること、透明な存在になること、何者にもなれないということ。

「少年少女輪になって」に対する「交わらないイマジナリー」なんですよ!

 

4 ピングドラムにより存在するムーゲンという国

ここからがメインで、このピングドラムにより「十二戦支爆烈エトレンジャー」の世界を読み解いていきます。

狂気度がぐっとアップしますね。

そもそも、エトレンジャーを始めとする精霊たちが住んでいる国、ムーゲンが一体何の目的で、どうやって生まれた(作られた?)かが謎です。

 「ここはムーゲン。沢山の動物の妖精たちが住んでいる異次元の国だ。

 ま、簡単に言えば天国ってとこかな!」

と第1話でバク丸が説明してくれていますが、簡単に言わずにきちんと説明してくれ。

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国というか島、しかもノベルワールドで構成されたノベルポールとかいう、全体的に何かふわっとしたもので天空からぶら下がっている島。

第1話時点で建国から187万5千年とかいう馬鹿みたいな数字を出してきたくせに、このムーゲンは2代目で、実は先代のムーゲンはノベルポールが折れて海に沈んでいるんだって。

 

き、きな臭え~~~~~~~~!!!!!!

 

私が精霊なら絶対に住みたくないんですが、それは置いておいて、まずなぜムーゲンはノベルポールでぶら下がっているのかという、ノベルポールの必要性から考えていきます。

 

(1)なぜノベルポールが必要なのか

ノベルポールとかいう、そんなよく分からないもので国をぶら下げるな、だから落ちるんだよ、というツッコミは100回以上しているんですが、きっとそれなりの理由があるんでしょう。

まず、ノベルポールを構成するノベルワールドは、昔話やおとぎ話といった物語の世界です。 

そして、物語というのは、人間の想像力によって創造されるものです。 (ノンフィクション作品も人間によって作られる以上、作り手の想像力が一切入らないということはないでしょう。歴史モノとか)

 

そこで、ムーゲンは、人間がピングドラムによって生み出したノベルワールドを通じて、「他者から与えられるピングドラム」を得ることで存在している国と考えました。

図としてはこうです。

 

 

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オタクこわっ

 

前述したとおり、ピングドラムには「他者から与えられるピングドラム」と「自ら生み出すピングドラム」があります。

「他者から与えられるピングドラム」は次元を超えた世界にいる人間のもの、「自ら生み出すピングドラム」をムーゲンに住む住人のもの、この2つのピングドラムによりムーゲンは存在しているのではないでしょうか。

単純に「人間の想像力をエネルギーにムーゲンは存在している」としなかったのは、最終話の邪霊神バギ戦におけるバク丸の「希望は捨てねええええ!」によってムーゲンの崩落が食い止められる描写があるので、ムーゲンの住人である精霊たちのピングドラムも影響するのかな、と。

ただ、それだけでは存在できないので、人間界からの外部供給も必要。

 

「十二戦支爆烈エトレンジャー」において、ピングドラム(=明るい未来を想像する力)は「夢」や「希望」という言葉に置き換えられています。

第39話「いつだってキミに会える」で、

「もっともっと美味いもん食ってさ、ぶっ倒れるほど遊んでさ、色んなとこ旅して、色んな人と友達になって……」

という台詞とともにその未来を想像したことで、バク丸は、箱の中にいた冠葉・晶馬と同様、想像による実現可能性を獲得しています。

バク丸に対して主人公補正と言われるのが耐えられないタイプの過激派オタクなので、ピングドラムとエトレンジャーの戦闘能力についても後述しますが、とにかく、ムーゲンがピングドラムをエネルギー源として存在している国であるということを前提に、「十二戦支爆烈エトレンジャー」という作品に対するいくつかの疑問を整理したいと思います。

 

(2)なぜゴール様はムーゲンを創造したのか

私は、ゴール様の目的は「無限に続く夢幻の国」を作ることだと考えています。

先代ムーゲンを見たモンクが「そっくりだ」と発言していることや、ショコラの家があったことから、2代目ムーゲンは先代ムーゲンの焼き直しと言えます。

沢山の動物の妖精たちが住むための国を作る、という意味では、国なんてただ存在していればよくて、海の下に沈んだ国を踏襲する必要はなくて、地面があって、そこに家が建てられて、生活できればいいんですよ。

 

また、邪霊神バギは先代ムーゲンの崩壊とともに滅びる有限の存在で、彼女(でいいのか?)と対立する創造神ゴール様やオーラ姫様が司るものは無限なのではないか、とこれは漠然としたイメージですが、思っています。

 

で、ここで再び「輪るピングドラム」の話になりますが、「輪」つまり円環構造であることが重要です。

先程の考察で、ピングドラムを他者から与えられる・他者へ与える輪を作ることで、無限のピングドラムを獲得することを「生存戦略」としました。

 

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みんなだいすき、ウロボロスだ!(いらすとやってやっぱすげえな)

 

そして、「十二戦支爆烈エトレンジャー」においても円環構造はよく出てきますよね、というか、大体もう常に輪って感じです。だって干支だもの。

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 もう何ならOPの最初から、丸がドーンですからね。

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丸=輪=無限の象徴とするのは安直かも知れませんが、それより何より「無限に続く夢幻の国ムーゲンを想像力により創造する」って、ダジャレ大好き「十二戦支爆烈エトレンジャー」的にも大正解じゃないですか?

ヘビにヘビメタ歌わせるジャンルだぞ。

 

 「そもそもゴール様って何者?」とも思いますが、イソップやグリムのような「ノベルワールド作家」並、いやそれ以上の想像力、それこそ異次元の国を創造するほどの想像力を持つ人間とかだと面白いですね。

ピングドラム大量所持おじさんです。

 

(3)なぜ先代ムーゲンは滅んだのか

先代ムーゲンが滅んだ理由は人々が夢や希望を失ったから、と言われています。 夢や希望を失う。つまり、ピングドラムの喪失です。

 

前述したとおり、ピングドラムには「他者から与えられるピングドラム」と「自ら生み出すピングドラム」があり、ノベルポールという形で人間界から「他者から与えられるピングドラム」を得ていることから、ムーゲンの存続には「他者から与えられるピングドラム」が重要、必須と考えられます。

 

ピングドラムは「理不尽や不公平」に立ち向かうための「明るい未来を想像する力」であり、ピングドラムの喪失とは、「理不尽と不公平」への敗北です。

つまり、人間界を、人間がピングドラムを喪失するほどの規模の「理不尽と不公平」が襲った、ということです。

「十二戦支爆烈エトレンジャー」が95年、「輪るピングドラム」がモチーフにした地下鉄サリン事件阪神淡路大震災が起きた、その当時の作品であることを考えると、人間界を襲った「理不尽と不公平」はまさにそれなんだろうなと思います。

 

邪霊神バギの

「まもなく闇のムーゲンは溶岩の海に沈み、完全に消滅する。もはや儂の力をもってしても、食い止めることはできん」

という台詞は、「他者から与えられるピングドラム(人間界から供給されるピングドラム)」の喪失が大きすぎて、「自ら生み出すピングドラム(ムーゲンの住人及びバギから供給されるピングドラム)」をもってしてもムーゲンを維持できない、という意味ですね。

 

先述したとおり、「無限に続く夢幻の国」として創造されたムーゲンは、本来ならば無限に続くはずで、何ら脅かされることはなかったはずです。

ところが、人間界からのピングドラムの供給がストップ(=人々が夢や希望を喪失)し、ムーゲンは崩落しました。

人間が「理不尽と不公平」に襲われることが、バギにとっての「理不尽と不公平」であったのではないかと考えています。

 

そのうえ海の上では2代目ムーゲンが187万5千年も続いているとなれば、「道連れ」という発想もそりゃあるわ、という感じです。

先代ムーゲンが完全消滅してから2代目ムーゲンを作れば良かったのに、と思ったんですが、そういう意味でムーゲンは、自然発生的な要素もあるんでしょうか。

人間が災厄から立ち直っていくのに合わせて、新たに国ができるという解釈もできそうですね。

もしゴール様が「先代ムーゲンはまだ残っているけど、とりあえず上に2代目作ろう!」ってなったのなら、かなりのマッドサイエンティストなんですが、創造神だからって好き勝手していいわけじゃないんやぞ!

 

あ、ちなみに邪霊モンスターは、その規模を問わず「ピングドラムを失わせるもの」という風に解釈しています。

現代だとブラック企業とかかな(やめろ)

 

(4)ノベルワールドになるとはどういうことか

最終話でエトレンジャーたちの活躍がノベルワールドになったわけですが、ノベルワールドになるとはどういうことかというと、

 ・ 「明るい未来を想像する力」によって生み出された物語として、ノベルポールを構成しムーゲンを支える役割を持つこと

・ 異次元の存在であり人間に本来認識されないはずのエトレンジャーたちの物語が、人間にとって可視化されること

の2点だと思います。

 

前者は、ムーゲンにとって「自らが生み出すピングドラム」であり、これまでもエトレンジャーたちは彼らが持つピングドラムで支えていたけど、それがノベルワールドという形で具現化する喜びがあります。

ただ、私が重要だと考えるのは後者で、人間から一方的にピングドラムを与えてもらう立場だったムーゲン・精霊たちが、物語という形で人間にピングドラムを与える。

私なんかオタクですからね。「十二戦支爆烈エトレンジャー」からピングドラムもらいまくりですよ。

 

はい、3(3)でも書きましたね。

 

ピングドラム他者から与えられる・他者へ与える輪を作ることで、無限のピングドラムを獲得すること。

 

これが生存戦略、つまり先代ムーゲンが成し遂げられなかったことです。

先代ムーゲンでは、人間界からピングドラムを与えられていたけど、ムーゲンから人間界にピングドラムを与えることができていなかった。

輪には、なっていなかったんです。それをバク丸たちエトレンジャーが実現した。

 

だから、「2代目ムーゲンもいつか先代ムーゲンのように滅び、3代目ムーゲンが出現することはありえるのか」という疑問に対しては、同じく3(3)に書いたとおり、

 

一度でも他者からピングドラムを与えられ、ピングドラムの輪に入ったことがある者は、それによって自らピングドラムを獲得することが出来る

 

ことから恐らくないのでは、と思います。

まさに、2代目ムーゲンの生存戦略の成功です。

 

死亡ラッシュからの復活というご都合主義的な展開も、彼らが十二支として強固なピングドラムの輪を形成しており、元々、生存戦略に成功していた者たちだから、という観点からは納得できるのではないでしょうか。

彼らを復活させるために協力したのが、ピングドラムによって生み出された物語の登場人物というのも、彼らが、人間のピングドラムによって生かされていることを示唆しているような。

 

ただ、個人的に3代目ムーゲンの出現により自我を滅茶苦茶にされるエトレンジャーのメンバーはとても見たいので、この話は忘れていいです。

 

実は「十二戦支爆烈エトレンジャー」を見てすぐは、この世に存在する物語は、すべてノベルワールドになっていてノベルポールを構成している、という解釈をしていました。

ただ、最終話でエトレンジャーたちの活躍がノベルワールドになったことや、ワールドノベル大賞を受賞することでノベルワールドになることから、ノベルワールドになる物語には一定の条件があるんでしょうね。

それこそ、人にピングドラム、明るい未来を想像する力、夢や希望を与える物語である必要があるんでしょう。

 

イソップやグリムといった人間の作家名が出なければ、ワールドノベル大賞というのは、異次元の存在である精霊たちの物語を人間に可視化(ノベルワールド化)するために必要な選抜と考えているところなんですが、人間・精霊を問わず、夢や希望を与える物語を書くことができる者をノベルワールド作家として囲い込むことで、安定してピングドラムを確保することが目的なんだろうなと考える方が納得がいきますね。

だから、夢も希望もまったくない物語は、そういう話が好きな人は勿論いるんだろうけどノベルワールド化しないのかな、なんて考えました。

いやだって、キリンダーに「今回のノベルワールドは、江戸川乱歩の変態性溢れる名作『人間椅子』の世界だす~」とか言われたら辛いでしょ。

 

(5)エトレンジャーの戦闘能力は何により決まるか

これこれ、この話がしたかったんですよ。

エトレンジャーのメンバーの戦闘能力、本当にピンキリなんですよね。

これもまたピングドラムで説明します。

精霊たちも人間と同様、ピングドラム(ムーゲンにとっての「自ら生み出すピングドラム」であり、本人にとっては「他者から与えられるピングドラム」と「自ら生み出すピングドラム」の合計)を持っているので、その総量=戦闘能力という解釈です。

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戦闘要員は総ピングドラム量が多い又はそれを戦闘能力として実現するのが得意で、非戦闘要員は総ピングドラム量が少ない又はそれを戦闘能力として実現するのが苦手、と考えてみました。

 

ピングドラム自体は「明るい未来を想像する力」であって「戦闘において相手を打ち負かす力」とはイコールではないですし、「明るい未来を想像する力」であれば、エトレンジャーのメンバーは全員、並の精霊以上に持っていそうですね。

なので、全員平均以上のピングドラム量を持っていて、非戦闘要員はそれを戦闘能力として実現するのが苦手。

戦闘要員がピングドラムによって想像する「明るい未来」というのは「邪霊モンスターを倒す」という形で実現される、というような整理が良さそうです。

 

例えば、ニョロリ先生は総ピングドラム量は多そうだけど、それを戦闘で実現するのが苦手で、人力飛行メカやワールドノベル大賞への小説投稿といった形で実現する方が得意なタイプ。

また、戦闘要員の中でも、バク丸のような「自ら生み出すピングドラム」量が多いタイプと、竜・龍といった想像上の生き物であるドラゴさんのような「他者から与えられるピングドラム」量が多いタイプという、2種類のピングドラム量の割合によって分類できそうです。

 

「自ら生み出すピングドラム」量が多いタイプは、ピングドラムの総量が自分のコンディションに左右されやすくて、苦手な猫に対しては激しく減少、逆に最終話のバギ戦におけるような、爆発的な増大もありえます。

主人公補正じゃなくて、どんな時でも夢や希望を捨てない、バク丸自身が持っている強さなんですよ。

まあ、それを主人公補正と言われたらおしまいなんですがね。

 

逆に「他者から与えられるピングドラム」量が多いタイプは、総ピングドラム量は基本一定なところが強いですね。

ドラゴさんが冷静沈着なのは、「自ら生み出すピングドラム」が増減しても、総ピングドラム量にあまり影響がないからかもしれません。

ただ、他者依存型のピングドラムなので、先代ムーゲンにも起きたような人間界におけるピングドラムの喪失があった場合は弱体化のおそれがあるのでは。

 

リディアもまた麒麟という想像上・伝説上の生き物ではありますが、人間界において、竜・龍と麒麟だったら、恐らく前者の方が「想像力の餌食」にされていると思うんですよね。

ドラゴン好きすぎるんだよな、みんな。分かる。

なので、ドラゴさんは能力てんこ盛りチート丼にされているのに対して、リディアは「麒麟=俊足」といったイメージしか反映されていないんだろうなと思っています。

人間のピングドラムの影響を受けやすいドラゴさんが、人間の姿をしているオーラ姫様に好意を抱くところも、本人に自覚はないけど本能的なものなのかな〜、と考えていますが、ここまで来るともはや考察ではなく、推しの妄想ですね。

 

5 「選ばれた者」と「選ばれなかった者」との戦い

長々と書いてきましたが、最後に言いたいのは、「十二戦支爆烈エトレンジャー」も「輪るピングドラム」も、「選ばれた者」と「選ばれなかった者」との戦いという構図が似てるよね、どっちも見てね、ということです。

 

どちらも「選ばれた者」を消滅させることで自分が選ばれなかったということ、生存戦略に失敗したことをなかったことにしようとしていますよね。

エトレンジャーのメンバーたちは、エトレンジャーとしての輪を形成した時点、つまりエトレンジャーに「選ばれた」時点で生存戦略に成功しています。 

分かりにくくなってきましたが、ムーゲンという国の生存戦略は、エトレンジャーの活躍がノベルワールド化すること(=第39話)で初めて成功するのに対し、エトレンジャー個人の生存戦略は第1話以前から成功していたということです。

ショコラがエトレンジャーに「選ばれなかった」というのは生存戦略の失敗であり、それをなかったことにするために「選ばれた」エトレンジャーを抹殺する、という。

というか、眞悧が冠葉をKIGAに招き入れるのが、バギとニャンマーに被ります。

 

「明るい場所は暗い場所と共存しなくてはいけないの。

 明るい場所が光っていられるのは、同時に闇が存在しているからなのよ。

 光が輝けば輝くほど、闇はいっそう深く、暗く身を沈めていく。

 あまりに光ですべてを照らし出してしまうと、闇は行き場を失って、明るい場所を、光を飲み込もうと暴れ出してしまうのよ」

第13駅「僕と君の罪と罰」における夏芽真砂子の台詞、あまりに消え行く先代ムーゲンと2代目ムーゲンじゃないですか?

生存戦略に失敗したことで透明な存在になり、このまま忘れ去られて消滅していくだけの存在が、最後の最後に地下深く(地下61階・先代ムーゲン)から、「忘れないでくれ」とクーデターを起こすという構図。

作中で、このクーデターは「悪」として描かれているけれど、「選ばれなかった者」にとっては生き残るための術なんでしょう。

 

だから私は、バク丸のように「許せねええええ!」とは思えないんですが、一方でエトレンジャーたちもバギと戦っている時点では2代目ムーゲンのための生存戦略真っ最中で、そんな中、バク丸がバギに対して「まあ、お前らも生存戦略してるんだもんな……(鼻の下をこすりながら)」となる訳がないんですよねえ。

 

私は「輪るピングドラム」をきっかけに泣く泣く村上春樹ヴァージンを捨てましたが、未だに「かえるくん、東京を救う」の意味がよく分かっていません。

意味が分からなすぎて、村上春樹の小説を読んだのは後にも先にもこれきりです。 

ただ、みみずくんが地下にいる存在であることや「想像力」がキーワードになっていることから、「輪るピングドラム」「十二戦支爆烈エトレンジャー」と同じ構図を当てはめることができる気がしています。

「かえるくん、東京を救う」を作中で用いる「輪るピングドラム」によって「かえるくん、東京を救う」を理解するというか、幾原邦彦監督に「自分はこう解釈したよ」と言われているような感覚がありますね。

 

「かえるくん」と「非かえるくん」は、「選ばれた者」と「選ばれなかった者」、「ピングドラムを持つ者」と「ピングドラムを持たない者」の構図?

「ぼくはみみずくんを打ち破ることはできませんでした」とかえるくんが言ったのは、大きな理不尽や不公平は消滅しない、今後も襲ってくる可能性があるということなんでしょう。

 

これからも理不尽や不公平は襲いかかってくるけど、生存戦略(=他者とピングドラムを分かち合って輪を形成すること)を頑張って強く生きていこうな!という勝手な解釈で、これからも「十二戦支爆烈エトレンジャー」と「輪るピングドラム」という作品を好きでいたいと思います。

 

最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。

「考察には考察をぶつけんだよ!」ということで、どんな形でもご感想・ご意見をいただけるとオタクは大層喜びます。